宮津へようこそ
芸屋台・万歳鉾
江戸時代の宮津祭(山王祭)では神輿巡幸と浮太鼓を漁師町が担当し、神楽を山王下(宮町)が、それ以外の町内が「屋台巡行」を執り行っていました。
昭和初期まで宮津祭は「芸屋台」とよばれる山車を繰り出す曳山祭で、万歳鉾は宮津祭(山王祭)の曳山のなかで唯一現在も巡幸している芸屋台で、各町は御神体を乗せた「山屋台」と子供歌舞伎を演じる「芸屋台」との2台を所有し山の名が付けられ、寛政元年 (1789) の「山王祭礼行列覚」では、行列順に「鈴鹿山」・「三輪山」・「春日山」・「高砂山」・「稲荷山」・「天神山」・「万歳鉾」・「岩戸山」・「日吉山」・「紅葉山」・「蛭子山」・「住吉山」・「明神山」があり、実に26基の山・芸屋台を繰り出し、賑やかな曳山の祭礼の姿は、その後の天保12年 (1841) の宮津祭(山王祭)を描いた「山王祭礼図絵馬」に残されています。
その後、一町に二基ある屋台は一基に統合され、またその名を変え、「相楽山」(岩戸山と日吉山が統合)、「相生山」(春日山と高砂山が統合)されて山屋台は姿を消し芸屋台だけが「山」の名を残したまま伝えられています。
万歳鉾は他の屋台が「山」と呼ばれる中で、唯一「鉾」の名を冠する屋台で、山王祭礼図では他町の山屋台が上部にご神体を乗せただけの屋台であるのに対し、万歳鉾だけがその上に高く聳える鉾を持った姿で描かれています。
平成20年の宮津祭では、万歳鉾の子供歌舞伎「仮名手本忠臣蔵 道行旅路の花婿」が演じられました。
和貴宮神社に保存されている、万歳鉾の見送りと飾り幕
白柏会館には二体の猿の人形が展示され、かつて巡行させていた相楽山(日吉山)の山屋台のご神体
松ケ丘会館に展示された、かつて巡行させていた蛭子山の山屋台の飾り幕
芸屋台の1基「浪花山」に取り付けられていた「飾り幕」が修繕され、飾り幕は縦3.2メートル、幅1,8メートルで近くの住吉神社にちなんで、高齢の漁師の姿をした住吉明神と唐代の詩人・白楽天が問答する様子を美しい刺繍(ししゅう)で表現されています。