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『和貴宮神社の祭礼』

宮津には、地蔵盆の風習があります。

地蔵尊を綺麗に洗って新たに筆を入れたり、飾り付けをして祀る傍ら、地区の人が集まって一日を過ごす、戸を開け放した町内のお屋敷に集まった子供たちにご馳走がふるまわれ、お地蔵様の前で御詠歌を唱える方たちの敬虔なお姿を見ることができます。

毎年 8月23日に行われます                                    

【天橋立出船祭り】

 智恩寺には室町時代から伝わる伝説「九世戸縁起」を再現したイベントで、松明が灯された海上舞台の上で太鼓に合わせて金銀2頭の龍が舞います。

阿蘇海上を照らす数多くの松明の中、お坊さんのお経から始まり、子供の演舞、宮津節、龍 舞・巫女舞が演じられます。

毎年 7月24日に行われます                                    

【宮津燈籠流し花火大会】

  今から400年ほど昔、織田信長の命を受けて入国した細川藤孝により城下町が造られ、その後に京極高広が新しく宮津城を建城し、隣の城下町から移り住んだ町人は、盆を迎えても先祖の霊を慰めるものを持たない寂しさから、燈籠に灯をともし、静かな宮津湾に流し始めたのが、宮津の燈籠流しの始まりと言われ、今は日本三大燈籠流しの一つになっています。 

 宮津の燈籠流しは、350年の伝統をもち、お盆の13日に祖先の霊を迎え、16日に再び極楽浄土へ送り帰す際の供養として、現在も行われ、初盆の家は沢山のお供えと飾り付けをして流される「精霊船」と先祖の供養に「追掛灯籠」が宮津湾を埋め尽くします。 

 宮津湾から、打ち上げられる花火は、大正13年に鉄道が開通した記念として現在まで続いています。

毎年 8月16日に行われます

【赤ちゃん初土俵入り(山王宮日吉神社)】

宮津の町では江戸時代初期から地元力士により奉納花相撲が行れ、江戸中期に氏子中の有力な家々が屋号などの化粧廻しを作り、息子を土俵に上げたのが始まりで、文献では延宝九年(1681)より「花相撲仕り・・・」とあり、その頃から寛政年間(1789)にかけて徐々に現在の形が作られたそうで、「赤ちゃん初土俵入り」は、化粧回しを付けた幼児が見えない神様と相撲を取るという、全国でも珍しい神事で、京阪神をはじめとする遠方の方々の申し込みあり人気の神事となっています。

毎年 体育の日に行われます

【元伊勢瀧神社の葵祭り】

『丹後一宮・元伊勢・籠神社の祭礼』

 賀茂祭の呼び名にならい、籠神社の例祭は「葵祭」と呼ばれ、ご祭神を葵(青位)大神とも呼び、懿徳天皇の4年よりとも伝わり、2500余年の歴史を持つ丹後最古の祭りとされ、賀茂祭も歴史がありますが、こちらはまだ古く、江戸期から葵祭と呼ばれるようになったそうです。

葵祭は神事と同時にいくつもの伝統芸能が奉納される。

毎年4月24日に「葵祭(あおいまつり)」が行われます

【宮津祭】

山王宮日吉神社と和貴宮神社で同時進行で行われる江戸時代から続く祭礼。

​神輿の巡幸を中心にして神楽や浮太鼓が絡む当地方最大の祭である。 「宮津祭」は山王宮日吉神社の例祭「山王祭」の俗称・別名として永く用いられてきた名称である。和貴宮神社の例祭は宮津祭とは別の祭であったが、昭和中頃に祭礼日を宮津祭同日に変更し合流した経緯を持つ。

毎年5月13日から15日にかけて行われます

【今福の蛇綱(荒木神社)】

 行事の起こりは、江戸時代に悪病が流行した際、悪病を追い払うために藁製の大蛇を作り、村の入り口に掲げたのがはじまりと伝えられている。

 一時期、戦争にて途絶えたが、玖賀耳御笠が逃れたと伝わる与謝大山 (杉山)の西麓の地で、弥生時代からの遺跡と銅鏃も出土しているので蛇綱もあるいはそんな古くから伝わる行事なのかも知れない。

毎年1月19日に今福地区で行われます

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